こんにちは! Clever Appleです!!
今日は、オーストラリアのウーロンゴン大学に大学院留学していた私が、
「留学に行って気づいたこと」
について書いていこうと思います!!
それではさっそく見ていきましょう!
1. 気にしないこと
まず一つ目は、「気にしないこと」です。
私は、結構人見知りで、留学前は、自分が人にどう見られているかをとても気にしていました。
そのため、自分のやりたいことや、人に対して親切なことをしようと思っても、他人の目が気になり、出来ずにいたこともあります。
例えば、留学先のオーストラリアでは、学生寮から大学へのシャトルバスがあるのですが、乗客は、大体みんなバスを降りる際、"Thank you!"とお礼を言います。
前から降りる時には、問題ないのですが、後ろの乗車口から降りる際は、結構大きな声で言わないと、運転手まで聞こえません。
私は、最初、それすらも恥ずかしかったのです。
しかし、友人に教えてもらった、"The less you care, the happier you will be"という言葉を思い出しました。
「なんでお礼を言うだけなのに恥ずかしがらなくてはならないんだろう」
と自分が自分に腹が立ちました。
運転手さんもきっと言われた方が、その一日を気持ちよく過ごせるし、自分もいい気持になるし、いいことばかりだから、他人が少しでも幸せになれるなら、それは言うべきだと思いました。
それからは、あまり恥ずかしくなくなりました。
他にもあります。
ある日、友人に、Traffic Light Partyなるものに誘われました。
Traffic Light Partyとは、
「パートナーがいる人は赤、いない人は青、微妙な人は黄色の服を着ていく」というパーティーでした。
微妙な人が黄色というのはよく分からなかったのですが…笑
私はパートナーがいるので、赤い服を着ていこうと思ったのですが、赤い服をオーストラリアに持ってきていないことをその友人に話したところ、赤いズボンを貸してくれました。
私は、その赤いズボンに合う服を持っていなかったので、どうしようかな、と迷っていたところ、その友達は言いました。
「君は他の誰かが似合わない服を着ていたら気にするのか?」
私は、気にしないと答えました。
「そうでしょ、だから他の人も君の服なんて気にしないよ。パーティーに行こう!」
と言ってくれました。
確かに、他の人がどんな服を着ているかなんて興味がないし、新しいパートナーを探しに行く訳でもないので、変な服でもいいやと思ってパーティーに行きました。
日本に帰ってきてからも、人にできるだけ迷惑はかけないように、でも、人の目を気にせず、幸せに暮らすことができています。
多分、私が人の目を気にするようになったのは、きっと小学6年生の頃からです。
修学旅行で日光に行ったのですが、そこでカメラマンの方がたくさん写真を撮ってくれました。
修学旅行が終わると、その写真が学校の廊下に貼りだされ、生徒は気に入った写真の番号を選んで購入することができます。
私はウキウキで廊下の写真を見に行ったのですが、なぜか風の影響なのか、ほぼすべての写真のなかの自分の前髪が、「たむけんさん」のように真ん中にピュッとなっていました。(たむけんさんは大好きです笑)
その写真を買いたいと思えなかったのも残念だったし、友達にその写真を見られるのも嫌だと感じたのを覚えています。
そのころから、少しずつ外見に気を遣うようになりました。
外見に気を遣うことができ、成長した経験でもありますが、少しトラウマチックで、他の人の目線や何を考えているかを気になり始めたのもこのころです。
もしかしたら「たむけんさん」でいた方が幸せだったのかもしれませんね。
「気にしない方が幸せになれる」というのは案外正しいのかもしれません。
2. 余暇の大切さ
オーストラリアで気が付いたことは、みんなよく勉強します。
日本の大学生と簡単に比較することはできないですが、少なくとも、私が大学生の時よりは、かなり勉強します。
何時間も休憩せずに、なぜあんなに集中力を保つことができるのか、私にはさっぱり分かりませんでした。
ただ、オーストラリアにいた学生は、めちゃくちゃ遊びもします。
週末や夜には、街に繰り出し、パー
ティーやお酒、ダンスなどを楽しみます。
まるで人が変わったかのように。
なんでそんなにオンとオフの切り替えがバシッとできるのかを聞いても、「分からない」と言われました。
きっとみんなしっかり勉強した後は、たくさん羽目を外して遊ぶくらいしないと持たないのだと勝手に思っています。
私は、そこまで集中して勉強できるわけでもないし、そこまで羽目を外して大騒ぎすることもないので、そういう生活に憧れはありますが、今の自分が好きでもいます。
でも、余暇を楽しむことは本当に大切だなということを学ぶことができました。
私の住んでいた
「キャンパスイースト」では、みんな絵を描いたり、塗り絵を塗ったり、ピアノやギターを弾いたり、余暇を楽しんでいます。
私も小学生ぶりに塗り絵をしたり、久しぶりにピアノを弾いたのですがとっても楽しかったです!
子どものころと今やるのでは、また違った楽しさがありますね!
きっと余暇を楽しむ心の余裕がないと、人生は退屈なものになってしまうなと感じました。
あと人間として何か大切なものを失ってしまう気もしました。
3. 英語を学んでも賢くなるわけではない
3つ目に気が付いたことは、「英語を学んでも賢くなるわけではない」ということです。
英語をたくさん勉強すると、理解できたり、表現できることが増え、自分が賢くなったような錯覚に襲われることがありますが、英語はただのツールであり、ただ単に英語を使えるようになったからといって、色んな考えをできるようになるわけではないということに気が付きました。
確かに、語学を学ぶことは、
アルツハイマーを予防したり、他言語の新しい音や構造など、新しいことを知るなど、たくさんいいことはあります。
でも、結局、友達に"How about in Japan ?" や、"What do you think ?"と聞かれた際に、ちゃんと答えるには、英語という言語そのものだけではなく、自分が知識や考えを持っていることが大前提となると思います。
英語が拙くても、内容が興味深ければ、きっとみんな興味を持ってくれます。
留学に行って、少しは英語が使えるようになったとは思いますが、
「英語が使えるつまらない人」
ではなく、
「人として面白くて、英語もできる人」
になりたいなと思いました。
4. 日本語のユニークさ
続いては、「日本語のユニークさ」です!
留学中に、多くの英語論文を探していて気付いたことは、「日本語は便利」ということです!
私は、紙媒体で読書をするのが好きなので、課題の論文はや教科書は紙で読んでいました。
そこで気が付いたことは、論文の中で、「日本語だと探している部分が見つけやすい」ということです!
どういうことかというと、日本語は、ひらがな、漢字、カタカナで構成されているため、自分が「あれってどのへんに書いてあったっけ?」という部分をページの中から簡単に見つけられる気がします。
例えば、「アクティブ・ラーニング」という語をページの中から探している場合に、まずは、多くの語の中から「カタカナ」を見つけます。
探している語を「カタカナ」に限定するだけで探している語・部分を見つけやすくなり、時間の節約になります。
一方、英語は全てアルファベットで文が構成されているため、形がどの語も似ていて、特定の語を探すのに時間がかかります。
そういう点で、日本語は確かに学ぶのに時間もかかり、難しいですが、メリットもあるんだなと思いました。
(まあ、電子で検索機能を使えばすぐに見つけられるのですが…笑)
5. 友達の大切さ
最後に気が付いたことは、「友達の大切さ」です!
私は、留学前は、「友達は少なくてよく、最悪全然遊びに行かなくてもいい」と思っていました。
しかし、色んな人に遊びに誘われて、行って楽しかったり、困っているときに助けてもらった時に、
「友達も捨てたもんじゃないな」
と思いました。
多分、幼稚園や小学校で気が付くことに、私は24歳になって気が付くことができました笑笑
私は、色んな事が知りたくて、もっと賢くなりたくて、できるだけたくさん本を読んだり、勉強することに時間を使いたいと思っていましたが、友達と遊ぶ大切さにも気が付くことができました。
本やネットからではなく、友達や人との交流の中でしか得ることのできないものもあるなと感じたのです。
その中で、「知識や知能を求めることそれ自体が目的となり、愛や人間関係を排除してしまうと、苦痛や暴力にしかつながらない」といったことが書いてありました。
自分の知的好奇心を満たすのも楽しいことですが、それを誰かに共有したり、人の役に立てて初めて幸せを感じる気持ちもあると思いました。
得た知識や経験そのものよりも、その後の人間関係や他の物事にどう活かせるかが大切だなと感じました。
リンク
たくさん自分語りをしてしまいましたが、今日はこの辺で!笑
皆さんの留学が素晴らしいものになりますように!!!